明治時代後期の三潴郡には大川町、木室村、三又村、川口村、田口村、大野島村(以上現在は大川市)、大溝村、大莞村、木佐木村(以上現在は三潴郡大木町)、久間田村、浜武村、蒲池村(以上現在は柳川市)、荒木村、安武村、大善寺村(以上旧筑邦町→現在は久留米市)、城島町、江上村、青木村(以上旧三潴郡城島町→現在は久留米市)、三潴村、犬塚村(以上旧三潴郡三潴町→現在は久留米市)、鳥飼村(現在は久留米市)、西牟田村(現在は久留米市と筑後市に分割)が属しており、明治33年頃に郡内の開業医が三潴郡医師組合会を組織し、その後会則規約を定めて医師会と称したのが当医師会の始まりです。
その頃はまだ任意の団体で大学教授や著名な医師を迎えて講演会を開催したりなど医術の普及発展を図っていたようです。
明治39年11月17日、三潴郡内の19名の医師が発起人となり、三潴郡医師会の設立を福岡県知事に申請し、明治40年3月2日に設立が認可され、三潴郡医師会が誕生しています。
その後市町村の合併、再編により医師会員の近隣医師会への移籍が繰り返され、昭和29年4月1日大川市政施行に伴い三潴郡医師会から大川三潴医師会へ改称し、現在の大川市、三潴郡大木町、久留米市城島町、久留米市三潴町の4つの行政区の医師会として活動するに至っています。